日々のできごと

前にどっかで誰かが(岡田としおさんかな?)言ってたんだが、
日本では、とくに最近での若者文化では、とにかく「若い」ということが大切で、
でもオタクの世界でだけはそれが逆で、年取ってものを知ってる人程えらい。
だからオタクの世界はいいよねというような話。
うろ覚えなので知らぬ間に脳内で曲解してるかもしれないけどそんなような話がありました。


この言葉には二つの含みがあって、一つは、時間の流れは止められないものなのに、そんなものに価値を見いだすことの無意味さ。(つまり若さをありがたがる非オタクの世界へ向けた含みね)
もう一つは、逆に言うとオタクの世界だと若くてもオタクとしての濃さが濃い方がえらいってことで、つまり年齢は関係ないってことです。
つまり、年取ってる方が結果的に有利になるってだけで、若くてもオタク知識が深い方が年取ってて浅い人よりえらいわけですよね。


何が言いたいのかというと…書いてるうちにわからなくなってきたな。
私はオタクとしての知識の深さや濃さは誇ってもいいと思うのだけど、オタクだったので苦労したとか迫害されたとかいうようなのは、個人的体験としては喧伝するべきではないと思いました。
オタクというのは濃さが全てなんじゃないかなと。
若い頃、思春期頃の苦労話なんてきいてねーよと。
飲み会の席で思いました。
だってある程度の年代よる上のオタクからみると、最近のオタクの若い頃のオタク迫害話なんてたかが知れてるじゃん。
話というのは実はした途端に「自慢」になってしまうという不思議な作用があるので。
私も自重しようと思うのでした。何かと。