謹啓 坂元さま

お障りなくお過ごしのことと拝察いたします。お陰をもちまして私どもも息災に暮らしております。他事ながらご休心下さい。

さてこの度手紙を差し上げたのは、他でもありません。この夏に公開された映画「西遊記」のことです。
私も劇場で拝見いたしました。とても楽しむことが出来ました。ですが鑑賞をしていてどうしても気になる箇所がありましたので、脚本を書かれた貴殿に伝えたく、筆を取りました。

冒頭から中盤にかけて悟空たちが玲美の祖父の居る山の上までの旅で、川を越え峡谷を越え、しまいには雪山まで到達してようやく辿り着くという描写がありましたね。
しかしその後凛々や悟浄や八戒たちが何度も町や途中の封印の部屋や劉星の小屋や銀角と悟空の無玉の取り合いをした岩場などの間を行き来してるのは何故なのでしょうか。距離感や時間の経過が全くわからない脚本と演出でした。

また、途中で、金角銀角が王宮にいるという話を聞いていながら、三蔵法師を一人町において別行動をとるという悟浄と八戒の行動が理解できません。
普通はどちらかを護衛として残しませんか? 原作の西遊記だと八戒や悟空が色々とやっているあいだ三蔵と悟浄がお留守番というのはよくある展開でした。
ですがこの映画だと守るべき対象を平気で置いていくので、キャラクターの行動に疑問をもってしまいました。

そしてその後なんですけど、悟空と三蔵がひょうたんの中から助け出された直後に合流した悟浄と八戒の台詞が解せません。
「おっしょさん、ご無事でよかった」的な内容のことを言ってるのですが、おかしくないですか?
だって悟浄・八戒は三蔵と別れた時は三蔵は別に危機でもなんでもなかったんですよ。町においてきてましたけど、「三蔵が敵に捕まっている」というシチュエーションではなかったですよね。
だからこういう場合はまず最初に「町にいたはずの三蔵が全然違う場所にいることに驚き」それから「三蔵が危機にあっていた事を知り」最後に「無事でよかったと喜ぶ」はずではないでしょうか。
上の二つの指摘は「実は帰りは抜け道を使っていて楽」とか「悟浄と八戒は頭が弱い」とか何かこじつけをすれば言い訳として通じるかもしれませんが、この部分の台詞に関しては言い訳が出来ない純粋なミスではないでしょうか。

また、全体の長さに対して、金角と悟空の死闘シーンが短すぎて、バランスを欠いています。あの5倍は立ち回りがあってしかるべきではないでしょうか。龍の封印はあの2/3くらいの量でいいですし、雪合戦のシーンはあの1/3でいいと思います。そういったシーンにそれなりに時間が割かれているにも関わらず金角対悟空の立ち回りシーンが短いので、金角が銀角より弱く見えますし、玲美の国の人たちが恐れ過ぎている描写にも疑問が出てしまいます。

金角のシーンといえば、王宮の屋内で戦った後、三蔵法師一向にナイフで攻撃したあと、誰にもとどめを刺さないで出て行ってしまう理由がわかりませんでした。なぜですか? 実際にとどめを刺されてはもちろん困りますけど、普通ああいった状況ではそういうことを試みるのではないでしょうか?

三蔵法師の台詞にも不思議な部分がありました。凛々の報告で玲美が嘘を言っていることが判明し、悟空と言い争いになるシーンです。
三蔵は「自分たちが向かうべきは天竺で、ここで危険を冒すわけにはいかない」と言っていましたが、この台詞というのは玲美に乞われて金角銀角の妖怪退治に出掛けることになってからあとの自分たちの行動と矛盾していませんか? 助けを求めている人の言質に裏が取れさえすれば、どんな危険な行動に出るのもOKなのでしょうか?
玲美が嘘を言っているということに対しての反応として、凛々はあれでもいいかもしれませんが、悟空以外の一行の「とにかく一度町に戻る」という選択肢以外のことが浮かばない様子というのが、見ていて全く理解出来ませんでした。

ほかにも「冒頭で暴れ回る悟空がみっともなく見える。とくに如意棒が引っかかって倒れるとか、『悟空』としてあり得ない」「銀角と戦うシーンで悟空が樹木に如意棒をぶつけているシーンがあるが、如意棒の重量(約8t)を考えるとあり得ない。なぎ倒される筈。そういうことがあるから本来悟空は滅多なものには如意棒を打ち付けたりしないだろうし、それだけの器用さを持っているキャラクター設定なのだと思うが、この映画の悟空は棒の使い方がなんだか不器用そうだし、如意棒の重量感も感じない」「筋斗雲を使える悟空に『高い山の頂までの苦難の道』を歩かせる意味がわからない。天竺までは「自分の足で歩くこと」に意義があるかもしれないが、このような横道にそれた人助けの時は関係ないのでは?」「悟空が雪を知らないという設定に合点がいかない。それなりに長生きの筈だし取経の旅に参加する前も色々なところを行き来している筈だし、そもそも筋斗雲で高い場所などに行ったことがあるだろうし、そういった悟空のバックグラウンドを鑑みるに、そういう設定にはならないように思うのですが」「自分が実際にひどいめにあった回数は大したことがないのに『騙される』ということに対してえらく被害者意識を持っているらしき八戒の言動に今回もイライラ」「最後に「皆さんの笑顔が報賞です」的なことをいう三蔵法師が綺麗ごとを言っているように感じてどうにも感情移入できない。当座の食事と今後の旅に必要な糧食程度のものは貰ってもおかしくないし、それくらいのものは要求するくらいの方が旅馴れている感じがあって臨場感が出るのでは」「三蔵の言いたいことは分からなくはないのだが、でもやっぱり仏教の聖職者が「戦え」という言葉を使うのが変。同じ内容のことを言わせるのでも、キャラクターの職業に合わせて言葉の選び方をもっと吟味するべきなのでは?」「テレビシリーズでもそうだったけど、何で三蔵の弟子たちは肉食するの? 仏弟子なんじゃないの?」「玲美の言葉遣いが王族のものとは思えない」など、気になった点が色々ありました。が、これらのことはあまり大した問題ではないかもしれませんね。

時節柄ご自愛のほどお祈りいたします。敬白