蜘蛛の糸

友達に聞いた話。

その友達の共通の友達二人に諍いがおきて、調停するはめになったが、二人とも精神科医のお世話になるような事態に発展していたのでもう大変だったという話。

そして両方から話を聞いてすりあわせた結果、どっちが悪いのかなどはますますわからなくなったとのこと。
結局二人を今後会わないようにすることにして、つまり友達としては「絶縁」の状態にすることにして、それ以上事態が悪化しないようにすることにして、解決はしなかったけどそういう状態で収まったのだそうだ。

という話を「鬱」に関する話をしていたときに、連想して思い出したらしき友達がした。

で、もう少し突っ込んだ話を聞いてみると、
どうやらくだんの友達二人というのは、元々漫画家志望で仲が良くなった、オタク友達だったらしい。
で、その時は3人くらいいて、3人で漫画家を目指していた。
うち2人がデビューしてしまった。
まだデビューしてない一人が精神的に追いつめられて、友達だった筈の仲間に牙をむいてしまった。
3人のうちもう一人にそれが向かなかったのはたまたまなのかなんなのか。

というところまで聞くとようやくなんとなくそこまで揉めてしまった理由がわからなくもない。
自分の同期とか同学年で一緒に机を並べて学んでいたりサークル活動に興じてたり同じ時期に仕事を始めたりといった感じで知り合った人たちが、仕事なり何なりで一歩先んじたときの、周囲の焦り、嫉妬というのは、ときとして凄まじいものがあるというのは、周囲をみていても見当たることがあるし、自分自身をかえりみても、感じることがある。
私自身は全然仕事も成功してないし世に出ているような職業(漫画家みたいな)でもないしで、取り残されてる方の立場である。
しかし自分自身が世に出るための努力を全くしてない状態なので、そういった妬心とはあまり縁がない。それでも自分と同じ年に大学に入学していた人の漫画が本屋さんに並んでいるのをみることがあると(少ないけどそういった体験が、ないでもない)、えも言われぬ焦燥感を感じることがある。まあすぐに消えてなくなるのだが。
自分は何をやってるんだ? 大した事もしてなくて、ロクなことにもなってないじゃないか、という思いですかね。

私ですらそうなのだから、増してもっと明確に「漫画家になりたい」と思っていた人ならいかばかりかと思う。

しかしその場合、その焦燥感や嫉妬心は、自分が漫画家になるための原動力として昇華するべきなのだ。
それなのになにを道を間違えたのかその人は周囲に迷惑をかけて、精神科医のお世話になり、しかもどうにも解決したわけではないという状態でいるわけだ。
多分いくらカウンセリングをしても投薬をしても、自分が漫画家になるという夢が叶わない限り、根本的な治療は適わないのだろう。
しかしそういったメンタリティの持ち主が漫画家としてデビューできるのか?
私はとてもそうは思えない。